僕らは、宣言され、定義される。この二つを行わないと、生まれることはできない。
宣言とは、最低限の動作の表を作ることである。
定義とは、動作そのものを決めることである。
僕らは、新たに生まれることはあるが、新たに生まれたら消すと言われるまで、行き続ける。例えこの世が終っても。
僕らの多くは、予定されていた通りに生まれ、ある時代を生きる。この世の初めから終わりまでの奴も居るし、ほんの一瞬の時代しか生きられない奴も居るが、全ては予定された死なのだ。
僕らは、自分が親にも子にもなれる。親は、何人居てもいいが、余り多かったり、親同士が親戚の関係だと色々と問題が起こりやすい。
自分と他人とは、自分が決めた方法で見分ける。自分が決めないと何も決まらない世の中なんだ。
だから、僕は誰とでも同じだし、自分とすら同じでないことだってできる。そう、同じかどうかを見分けるときに、自分と自分が同じかどうか問えるようにしないといけない。
自分が決めなければならないことは、他にも沢山ある。どう生まれ、どう死ぬか、どう子供と接するか、どう見せるか、まだ沢山決めなくてはならない。
だから、僕らは、色々な人生の歩み方がある。
昔ながらの方法で生活する可哀想な人達。
ものに頼っている、流行を求め続ける若者達。
全てが型に嵌めて、俗世間から離れいく仙人達。
ああ、なんてこの世の中はひねくれているのだろう。
2008年9月4日木曜日
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